あざらし奥さんとシェフな主夫って?

プロフィールをご覧いただきありがとうございます。まず、簡単に自己紹介させてください。

僕は今、東京で主夫とシェフを兼業しながら生活しています。ブログからも若干(2019年は3~5万円/月)収入を得ているので三足のわらじというところでしょうか。

ただ、今は主夫として「家庭が大事です」と言う事もできるようになりましたが、ここに来るまで、男として、家庭を第一にするのはいかがなものか?仕事に人生をかけるのこそ、あるべき姿、という制限を自分で作っていたように感じます。

生まれ・出身

僕は、神奈川県で生まれましたが、父の仕事の都合で10歳で福岡に、12歳で千葉県に引越しました。そして大学では京都に引越し、就職は東京です。初めての引っ越しをして以来、自分のふるさと、故郷については曖昧になってしまいました。生まれたのは神奈川だけど、中高生時代を過ごし今も実家がある千葉県も出身地の一つです。

相手やシチュエーションで使い分けています。

決して実家と仲が悪いわけではないけれど(むしろ、良いです)居場所ってどこでもいいって思ってきました。日本である必要さえない、って。そんな中、奥さまと会って、結婚して、いろいろ大変なこともあったけど、帰るべき場所、守りたい居場所はここだなって思い、主夫として暮らす、と言えるようになりました。

大変だったことを話す前にどんな仕事をしてきたか、などを少し聞いてください。

職歴・どんな仕事をしてきたか

僕は大学で一人暮らしを始めてから、ほとんどのアルバイトは飲食業でした。大学では建築を専攻していて、飲食店の内装などを考えるのも好きだったのですが、建築は「作るべき人」とそうでない人がいると思い、建築を諦めました。

むしろどうやっていい場所を作るか、働くか、などを考え、選んだのは人材派遣業です。大手人材派遣会社の人事部門に配属され1年経ち、新規営業の部署に異動してしばらくたった頃、関わっていたNPOで場所を作ろう、カフェやバーみたいな場所を持とうという話が持ち上がります。

会社で「ありがとう」と言われる嬉しさと、NPOのイベントなどで自分が料理を作って「ありがとう」と言われる嬉しさが全然違ったんですよね。うっかり上司に、「辞めます」って言っちゃいました。

何となく決めていた転職の話は流れ、1か月ほどニート状態で過ごしました。そろそろ働かなきゃ、となってからは倉庫作業や配送、設営、飲食の派遣バイトなど、何種類かのバイトをしながら、料理の求人を探し、イタリアンのお店に入ることを決めました。

場所は日本橋にあったイタリアンの有名店(の姉妹店)。大学の頃3年ほど和食店で働いていたとはいえ、素人なので最初はホール、その後バーを担当したり、デザートなどを担当して一年がたつ頃、NPOのメンバーが役員を務める会社の会員制サロンの運営を任せてもらうことになります。

当時25歳、何もわからない中、イベントを開催したり、おまかせコースのみにしてみたり、いろいろ試して2年、お店は黒字になりましたが建物の都合で閉店しました。

その後Twitterのご縁から、銀座の小さなビストロでシェフを任せてもらえることに。たまたま一緒に入ったホール担当の女性が優秀で、半年ほどでオーナーから言われていた目標を達成するようになり、だんだんと給与も上がり生活も上向き、楽しい日々を過ごしました。

このお店のお客さんの紹介で、奥さまとも出会い、結婚できたので、僕にとって、今も最も大切なお店の一つです。(2019年の年末に閉店しました)

奥さまは、韓国で日本語通訳をしていたところ、日本の会社に引き抜かれた女性でとても優秀です。どこに入っても、コミュニケーションがうまく、全体の状況を把握するのも、問題を見抜く能力も高く、すごいなぁと夫婦ながらに思っています。

そんな能力のある奥さまなので、会社としても、外国の会社を買収したときなどに送り込むんですよね…最初はアメリカ、一年で帰国した後はフランスでした。

フランス語もできぬままパリへ

僕はアメリカには帯同せず(帯同しようと思ったころには帰国が決まり…)、その後のフランス転勤が決まった時に「ビストロで働いているし、フランス料理をパリで学ぼう!」と一緒にパリへ。

最初に入ったお店は、昔ながらの掲示板で見つけたお店。中世からある建物を使ったレストランは客席が100席ほど。キッチンは三ツ星レストランで部門シェフをしていたフランス人シェフ、日本人のスーシェフ(副料理長)、フランス人の20歳の料理人の3人でした。

パリに着いて三日目から働き始め、フランス語もよくわからず、フランス料理の基礎もわかっていなかった自分はボロボロでした。3か月ほどした時、キレた日本人シェフからくらった膝蹴りで歩くのもままならなくなり、そのまま退職しました。

その後、フランス語学校に通いながら毎週のように旅行している時期はまた、とても楽しかったです。ドイツ、イギリス、イタリア、スペイン、いろいろな国へ行きました。

少しはフランス語もわかるようになり、学校も長期休みに入ったタイミングで家の近くにあるよく通っていたレストランが求人を出していたのを見つけます。このお店は日本にいた頃から知っていて、何かあるたびに通っていた、とても好きなお店です。

入ってみると、やはりシェフが考える料理はどれも素晴らしく、勉強になる事ばかり。しかし永くそのお店に勤めたシェフは、次のステージを目指し、年末に退任して新しいシェフに替わりました。

半年ほど、パティシエのポジションを経験した後、メインのポジションを任せてもらうように。半年を経て、だんだんとスタッフも入れ替わり、人が足りない状況や、自分の不勉強などからシェフとの関係が悪くなり、最終的にはモラハラのような状況になり退職しました。

この頃、もう、料理は辞めよう、と思ってました。とにかく落ち込み、生きているのもつらく、起きてからずっとネットマンガを読み、kindleで日本の本を読み、何もしていませんでした。

でも、奥さまから「家に帰ると旦那がお帰りと迎えてくれるから、今が人生で一番幸せ」って言われて思ったんですよね。生きてる意味あるじゃん、って。で、それから少し前向きに生きられるようになりました。

パリでのブログデビュー

ちょうど落ち着いたころ、銀座のビストロで一緒に働いていた子が南仏へ行った帰りに、立ち寄ってくれました。その時言われた「石さん、ブログとか書いてみたら?お店で出していたメルマガ評判よかったし、ブログ見てみたいな」と言われたのは、ちょうど奥さまから勧められたイケダハヤトさんのブログ(当時は仮想通貨が流行ってました)とあわせて、いいきっかけに。

当時始めたブログが「あざらし奥さんとパリ暮らし」です。

書評や、パリの観光案内、パリの家で作っているごはんのレシピなどを書く中で、ライターとしての仕事もいただくようにもなりました。そして、Googleの広告サービスなどから収入が生まれるようになったのはとても嬉しかった。ただし、この時期に任されていた家計管理についてはアプリに任せたっきりでほとんど改善できず…

一年ほどブログを続けた頃でしょうか、帰国人事が発令されます。それから帰国までの3か月はアイスランド・イタリア・セビリアなどを旅行して回りながら、精力的にブログの記事を更新し続けました。でも、当時の売上は2~3万円/月と専業にできるほどではありません。帰国してからのことは何も決めないまま、日本への帰国が近づいてきました。

帰国の前の週にまたも、例の銀座の同期から連絡がありました、「石さん、いつ帰ってくるんだっけ?木曜からうちで働かない?」と。彼女は当時、四谷荒木町で間借りのお店を始めたところでした。オープンからちょうど一か月経ち、手伝ってくれていた人も本業へ戻ってしまい、手が足りないと。

日本での兼業主夫生活がスタート

彼女には恩義もあったし、必要としてくれる場所があるのが嬉しかったです。家の片付けもできぬまま、帰国した週の木曜から働き始めました。ちょうど、海外からの引っ越しの整理と、週に二度の仕事はいいバランスで、だんだんといい感じで兼業できるように。

夏とともに間借りの契約が終わり、ちょうど奥さまも転職するタイミングで長期休みに入ったので国外旅行などで散財を繰り返しましたが、奥さまの手を借りながら、家計管理のエクセルも作り、ようやく家計も健全化するめどが立ったのが2019年の年末のこと。

年が明け、2020年の1月から間借りではなくなったお店での料理と、主夫業とを兼業し始めた中、気づいたこと、調べて、これはみんなが知った方が良いんじゃないかなってことをまとめていくのがこの「あざらし奥さんとシェフな主夫」ブログです。

だいぶ周回遅れになった気はするものの、貯金をし、投資をし、まともに老後を迎える準備をするための知恵を探しては、こちらに書いていこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

長文、最後までお読みいただきありがとうございました。

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